

ここ最近、ブータンで柔道の教科書作りをしています。
ブータンで柔道を育てていくにあたり、強化だけでなく普及活動も必要となります。
現在2チームしかないブータンでは、さらに柔道チームを作っていく必要が出てきます。
そうなった時に、そのチームで指導する先生が必要です。とはいえ突然指導を任されても、困ってしまうのが実際です。
そこで、どこで誰が教えてもある程度のレベルを保つことができるように、指導者のための教科書を作ることになりました。
これがあれば、今後僕の目が届かない地方で柔道を普及することになっても、ある程度のレベルを保つことができるのではないかというわけです。
そんなわけでやっているのですが…
この作業はなかなか思うように進みません。
というのも、僕が1人でやるよりも圧倒的に時間がかかっているんです。
僕1人で作るのであればそんなに時間はかかりません。
子どもたちの現状からどんな過程を踏んで技を習得させればいいかのイメージが既にあるので、練習法が頭に浮かんでいます。
それを写真と文字にすることはそんなに難しくはありません。
だけどそれではあんまり意味がありません。
次期コーチたちに気づかせて、彼ら自身に理解させる必要があるからです。
以前日本にいるときに、こんな話を聞いたことを思い出しました。
『空腹の人には魚を与えるな。魚を手に入れる方法を与えろ。』
魚を与えると、一時的には空腹の人の飢えがおさまります。でもそれは一時的であって、根本的な解決にはなりません。
魚を手に入れる方法を教えれば、その人は今後飢えることなく生きていくことができる。だから空腹の人に本当に必要なのは魚ではなく、魚の手に入れ方である。
ということのようです。
今回のことでも近いものがあるのかなと思います。
僕が柔道指導の教科書を1人で作って彼らに与える方が、確実に早くできます。
だけどおそらく長い目でブータンの柔道の発展を考えるなら、指導していく立場になる彼らに理解させる方がずっと意味があります。もっといえば、一緒に考えて理解を深めていく作業や、教科書を作る選択肢を与えること、一緒に考える工程そのものに意味があるのではないかと思います。
子どもへの教え方を彼らが知るだけでなく、なぜそう教える必要があるのか。より深くまで自分で考え、さらにそれをもとに練習を作る力がつけば、いつか僕がいなくなってもきっと彼らだけで発展していきます。
だから僕は今、教科書を作っているようでこの国の柔道の未来を作っていると言っても過言ではないのでは!?
なんて大袈裟なことを考えながら、彼らとゆっくりじっくり作っている今日この頃です。
実は僕は大学では教育について学んでいました。
教師として必要なことは子どもに答えを教えることではなく、答えに辿り着けるように導くことです。
答えに導くための問いである『発問』のことを思い出します。
まさかブータンで柔道を教える活動の中で、あの経験がいきるとは。思ってもいませんでした。
ちょっと学校の先生っぽくて楽しいな。なんて思いながらやっています♪
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